悩ましい…

分かっちゃいるけどやめられない❗と言うのが、人間の癖です。

それを切り崩し、粉砕し無かったことにして、新しい価値観の

自分を作り上げるには具体的にどうする?

と言う命題について。

無くて七癖

そう、無いに越したことはないと昔から言われています。

でも、どうしてでしょうね?

癖ってきっと悪いイメージがあるのでしょう。

だからない方が良いというわけ。

けれど、あの、仏でさえ、7癖あると言われ、日本人には「七」を

「負」に対して付ける数字のように見えます。

無くて七癖、色白は七難隠す、七転び八起き…如何でしょう?

では、良い習慣のことは数字が着くのでしょうか?

成功パターンには不思議と数字があてがわれたことはありません。

疑問が生まれる

良い習慣とは何を表すのだろう?

自分を育み、何かの踏切台になるようなものだろうか?

遺伝子が傷つくことを癖や難などと表現されてきたのかも知れない。

自分がどのように癖を形成してきたのかが、ここで分ってくる。

どこに向かおうとして選択を繰り返してきたのか?

自分がどのように進化しようと、選択をし始めてきたのか?

嗜好の繰り返しが思考の方向性を導き、嗜好性が不適切な癖を

決定づけていくようになっている。

そこで、言葉の仕組みを考えると、言葉のバイブレーションによる

脳内ネットワークへの取り込みを行い関係性が変化する。

発見

進化の過程を自分なりに新しく作り込んでいけることに気がついた時点で

言葉のバイブレーションを使用して脳内回路の再形成。

そんな事に気がついいたのは「癖」に関してつらつら考えが進むに任せて

出てきた…自分があと何年生きるのかは自分で決めたいが、その前に自分について

もっと客観的に知っていたいと考えた。

知ろうとすると、何を頼りにするのかというと客観的なデータが一番

的確なように感じるが、これは案外落とし穴だ

何故って?

もし健康診断で、レントゲン写真を撮ったとしよう、

それは、その時の瞬間的な情報でしかない。

その情報が、今後も正確な自分を表し続けるものだろうか?

そんなあやふやなものが自分の客観的な情報と見て取る考え方の方が危険だ。

だから…自分の癖を見つけ出す方がよほど、確かな自分を知ることになりそうだ。

未来へ

自分を知り、自分を方向付け、自分を形成する。

最後はアーティストとして死のうと決めると、アーティストになるための自分作りが

決め手になってくる。

昨年、私が目指す89歳の女性像が決まった。

今までとほぼ同じ位の長さをかけてそこにたどり着かなければならない、

どうやって自分を作り込むのか?

更にその先の120歳を目指せる自分を計画すると

早々簡単には習慣の善し悪しが決められない、理由は前人未踏だからだ。

本当に未踏の道のりは誰を目安にするかがないから、

あくまでも私がオリジナルとして存在すると言うこと…

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