母が息子を思う気持ち
自らの命の境目をこんな風に使うのを
見せられて、感動の涙が流れました。
途切れていた息子と孫を再会させる。
そう、
誰にも言いませんでしたが、
この何年も母の気掛かりは、
8年も前に途切れた息子と孫の事。
世の中、男の子は基本、マザコンが普通
だから、離婚の理由はさておき、
息子は母の味方につかざるを得ない。
自分の片方の親の世界を否定して生きるのは
誰しもどこかで息苦しさを感じる
ものなんじゃないかと思うのです。
それでも、そうせざるを得ない
孫を不憫に思うのが
「grand mather」
そのgrand mather の願い事、
その祈りが形にする日があります。
葬儀の日、
孫は大人の仲間入りをした、年齢に成り、
漸く姿を見せます。
孫が父親と会うのは8年ぶり、
従兄弟が顔を合わせるのも同じです。
和気あいあいと、一番若い従兄弟を
歓迎し、労いの声や言葉を各々に
交代交代に掛けます🎵
孫は自分が否定していた
もう片方の世界に触れながら、
昔は屈託のない笑顔だった片鱗を
覗かせる笑みを時折見せながら
答えたり、相づちをします。
母は、生前、目にすることはかなわなかった
光景を、自分の命の境目を使って
引き寄せ、実現させました。
客観的に見て、あまりの見事な引き合わせぶりに
第三者は映画を見るかのような、
巡り合わせ具合に感動し
感謝と賛辞を言葉にします。
命をこんな風にも使い切るのか?と
生前、意識がはっきりしている間
言葉が流れるように使える間、
命(エネルギー)の力はひっそりと
息を潜めていたようだと思えました。
今日の死のそのときに、
命の力は発揮されました。
逢いたかったものを引き寄せ、
再会の縁を結び、
言葉をかわす場を創造し
未来への可能性の糸を
紡ぎます。
安堵感と喜びが人の心に
広がります。
命の力は目に見える形を
総合プロデュースしました。
静に交わされた言葉は少しずつ
誤解を、思い込みをほどくやも
知れません。
可能性に願掛けして、
今回の長生きの人生の幕を引きました。