健康な死

84才の男性の最期は、ホームで静に

93才の女性の最期も、ホームで静に

どちらも私にとっては大切な方です。

二人とも、食べなくなり、

少しの水分補給だけになり、

生物の最期の姿を見せて下さいました。

魂だけが、

行ったり来たりを繰返し、

徐々に向こうに行く準備をし、

最期は行ってしまった。

という感じでした。

私は昨年、22年一緒に暮らした猫を

看取ったときにも感じた、

ありがとうの気持ちが先で、

「最期はお疲れ様でした。」

という思いでした。

人の最期も又、

いずれの方も

自らの意思で、癌治療は受けない、

延命治療はしない。と宣言し、

入院せずに普段の生活の場で最期を迎える

と決めて宣言通りです。

死をどのようにとらえるかが

その方お一人お一人の生きざまの

最後の締め括りで、

84才の男性は今から思えば、死の3ヶ月前に

家を処分する事を決めてホームに入られました。

93才の女性は家族と同居をしていましたが

膝の治療(手術)を拒否したために、

同居が難しくなり、ホームに入居となりました。

お二人ともホームでは、世話はしてもらえます。

よくよく振り返ると必要最低限です。

でも、93才の女性、普段は

気を使って、ありがとうと繰返し

言ってました。

2週間前に、お逢いしたときに、

本音は

こんなところ、監獄と一緒やで、

もういやや‼   と

言ってくれました、

でも、

私にはどうしてあげることもできませんでした。

本音を聞いて、益々、気の毒になるばかりで

色々感じることがあります。

84才の男性は自分の意思で

93才の女性は家族との関係で

どちらも荷物の整理は

とことん綺麗にされています。

ただし、いずれの方も望んだ暮らしでは

なかった。

男性は、自分の望む治療方法を実践できない

協力が得られない、高額な高級ホーム

家族や回りが良いと思うあまやかしの

自立型ではないもの。

女性のホームでは、更にあまやかしの

と言うか、飼い殺しの介護、

どれが良いと比較は無いですし、

他の選択が無いホーム

最期だけはどちらも、自然な看取り

のようですが、

途中が全く……

人は途中の生き物です。

途中が大切です。

その途中のために自由に選択が

出来る間に、死に向き合って見ると

「健康な死」以上に

「健康な生」について企画し計画し

途中、変更し……色々手だてを変える

それが最も「健康な生」の先にある

「健康な死」なんじゃないかと思うのです。

とても見事な生き様だと感慨深く、

唯一、男性の心残りは

自らが信じた治療法を

最後まで実践しきれなかった事が

「残念だな~」と仰いました。

女性は膝を痛めたときに

「脚は大事やで」と何度も仰いました。

この人生の先輩方の言葉を

絶対に忘れず、

健康な死に向かって健康な生を

模索しながら進んでいこうと

改めて決意を堅くいたしました。

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