私はこの3年、
余所様の企業内で業務を行っていました。
正直、ラクチンな仕事というか、
作業の連続でした。
覚えれば良いだけなのです。
いずれAIにとって変わられる分野。
この世の中に勝者と敗者という言葉が
あふれかえっていますが、
本当の意味を知っている人は
どの位いるのでしょうか?
今日は、ちょっと視点を変えた話
を書きます。
私の記事に関連が無いように思える
かも知れないカテゴリーが存在しますが、
そもそも、何のために、
このブログを書き始めたのか?
人生の勝者になって、
それを連続させることで目的地に
たどり着こうと思っているからです。
そのために、大変リスキーな条件がありました。
余命宣告を受けた弱っちい肉体で
生まれてきたことです。
書いたように
肉体とオーラの相性が悪いという事実。
この事実は全ての事柄に
半端なく影響を与えます。
まず、義務教育の就学年齢の前に
保育園か幼稚園に行きます。
この時点で、初めて、他者と自分との違いを
客観的に認識します。
「先生」と言われる親とは違う、
近所の人とも違う大人に出会います。
狭い空間の中に一定時間とどめられ、
指示された行動を取るように指導されます。
更にその強化のために親を呼び、
観覧させる機会を設けて、
そこに価値があるような状況に追い込みます。
その事に5歳で嫌気がさして登校拒否…
もっと小さい、登園拒否。
しかし、矯正教育(親・親戚)を徐々にうけ、
小学校、中学校、高校、大学まで20年…
途中、何度も脱落、脱線、脱出を試みるも、
失敗に終わります。
新約も旧約も、法華経も、老子も
かじるにはかじるが
どれもこれも
矯正教育を
抜け出せと書いているだけだったので、
今は無理じゃないかと
ずーっと悩みながら
社会に放りでざるを得ない戦後教育の結果、
サラリーマンとなりました。
空間を作り出す会社に就職しました。
時間労働という中で、
換金率としては最低な条件の仕事でした。
ただ、そこでは私は役務労働者では
無かったのです。
好きな仕事であったために、
残業時間が月間100時間超であっても
徹夜が続く毎日であっても
何の不満も無かったのです。
これは、今から振り返ると、勝者です。
好きなことをやりたいだけやって、
ご飯が食べれて、
時折気分転換の旅行にも行けました。
その後、他人の会社の保証人になった
きっかけで、下記の状況に陥ります
- 好きでも無い仕事
→価値観が紙幣へと変わる
- 作業をする中で、長時間の拘束
→休息時間が必要になる
- 考える事から切り離される
→創造活動からの切り離し
- 換金率が低い職場に縛られている状態が
人生の半分を占める→諦めた人
これは人生の敗者への分岐点に来ていると
見れば良いかと思います。
(ここでは、時間、換金率、好き嫌い、
完全・不完全義務の基準で判断します)
その時に、頑強・屈強な細胞で構成された
肉体を持っていると、この分岐点で
底を打って上り坂に向かい合えます。
もし、ここで肉体が弱っちいと
その時点が「底」では無く、
下り坂の途中でしか無くなります。
敗者とは分岐点の区別がつかず
折り返しのポイントを作り出せない
状態の人の事です。
更に、その状態を分別する
客観的な視座を持てない、
又は切り返せない、
肉体の状況であることを言います。
では、下り坂かも知れないと思った時に
選択を間違うとV字回復から遠のきます。
そのために、
私はすり込まれた理論を廃棄し
新しい理論を頭にインプットしながら
踊り場を作りました。
それは、1年、2年をかけて充分な理論です。
何故なら…30年間の頭の構造を
廃棄して新しい価値観で自分の道を
作り上げるのにこの方法をとれば
1年から2年で革新がおきます。
それはここにあります。