今から150年前のこと

べシャンの説

1. 病気は体の中にある微生物に起因する→原因は既に中にある

2. 微生物は宿主の健康状態が衰えた場合に「病的」になる

→宿主の健康状態が病の第一の原因である

3. 病気にならないためには、健康な状態を作らなければならない

→免疫を高めることが防御になる

如何でしょうか?

今では至極当たり前の考え方ですが、150年前は受け入れられがたい考え方でした。

そのため、長い間(今も変らず)以下のこのような考え方が主流でした。

1. 病気は身体の外にある微生物が原因である→外から来る

2. 病は誰でもおかすことができる→どれだけ健康であっても病にかかる

3. だから微生物が体の中に入らないように防御をしなければならない

→ワクチン、抗生物質など

如何でしょうか?

あなたはどちらが「病状」や「症状」に対して正しい姿勢だとお考えですか?

その姿勢が今後のあなたを作って行きます。

150年前にフランスで巻き起こっていた「病気」に対する考え方の冷戦

それは基本コンセプトとして

「自己実現への積極的な関与」か「他力本願として責任は全て外側に存在」

自分が軸なのか何らかの影響が軸なのかが大きな違いです。

この考え方の違いは全てが「罪深き人間」と定義されたキリスト教的な発想が

背景にあるのでしょうか?

それよりも、客観的な事象を俯瞰して分析し、原因と結果を取捨選択して

自らが選択し変化を起す。

この違いは思考の違いと身体作りの基本が違ってくる。

積極的な身体作り、というのは自分がどういう身体でいたいかという

継続的なビジョンを持ち合わせています。

逆に、原因が何らかの影響によるモノとした場合に引き起ってくるのは

専門家の診断による状況説明、客観的なデータ分析に対して対処法を指示され

なれる状況が限定される。

これは、身体だけのことでしょうか?

全ての考え方、価値観、処方に対して鵜呑みにせざるを得ない環境下に

置かれていきます。

自らのことをどのようにポジショニングしビジュアライズして行くか?

とても大切な点だと感じます。

150年前に提示された2つの考え方

その主流となっていたのが

パスツールの説で、病気の原因は全て外に原因が存在する、と言うもの。

最初に提示したのがベシャン博士のコンセプト。

全ての原因は自分の中に存在している。と言うもの。

対立をし続けるはずもなくパスツールは死の間際に、自らの誤りを

語ったそうですが、残念なことに記録として公にされることはなかったようです

考え方、知っているといないとの差は

かなり深い「溝」として立ちはだかります。

「Social intelligence」を持ち合わせて無事にその溝を渡りきりたいと考えます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする